日記ブログ
 

2008年
●4月
 319号(2008.4.22)
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317号  地理と歴史

 図書館における「地理」の「歴史」に対する劣勢を目のあたりにすると、全く同情を禁じえない。歴史の方は長い本棚の三、四列を占め、日本史、各国の歴史、全集など様々に並んでいる。地理の方と言えば、本棚の一列はおろか一区画を領しているだけである。しかも旅行ガイドブック類が多いのである。
 だが、その本棚にあった「地理学の歴史」(マルトンヌ著)の一篇を読むと、地理という学問はなかなか奥が深く、また面白そうだと思う。
この面白さは自分の子供の頃の気分と合っているのだ。つまり、どこかまだ見ぬ土地のことを知りたい、行ってみたい、という自然の気持からそれは来るのである。子供の昔にもっていた何とも言えない独特の感情が、ふと胸をよぎるわけである。
 この本の指摘で改めて驚くのだが、コロンブス以降つぎつぎと生まれた地理上の発見は、15世紀末からたったの三十年間で、あっという間に地球を一周してしまう勢いで行われた。これまで、地球上の緯度にして60度、経度にして100度程度にすぎなかった人間の地理的視野が、その間地表のすべてを一挙に360度カバーしてしまうにまで拡大している。
 現代の変化のスピードは驚異的である、などと我々はよく表現する。しかし当時の大発見の革命的な速さは、全くその比ではないことがわかる。
 尤も現代の変化の性質をみると、変化そのものはそれほど大きくなくても、情報として世界中に短時間のうちに共有されてしまうという点があり、比較のレベルに違いがあるという留保はいるであろう。

(‘08.3.25記)

 娘としゃべっていると、話題の中でときたま地名を出さなくてはならないことがある。するとそこで壁にぶつかり話がとぎれて調子を狂わす。その話に出てくる町や国がどこにあるのか、学校地理で習っていないのである。
 前記の地理上の発見の話も、地理を問題にしながらつい歴史的な速さの話になってしまっていることが、我ながら気になる。
 平和な時代は歴史に関心が向き、反対の時代には地理に関心が向きやすい、という勝手な仮説はどんなものだろうか。

(‘08.3.30記)