「あらゆる現実の問題の研究は、問題が切実であればそれだけ、冷静な研究と行動をはらむ政策論とに分けて考えることができなくなる」といった趣旨のことを、桑原武夫はどこかで書いている(全集にあると思う)。
つまり純粋な理論と政治的な政策論は本来別であるはずのところが、現実には一緒になりがちな点を指摘したものである。さらにこれが昂じると、政策目的の方が理論の基礎を歪めてしまう現象も出てくるだろう。このことは個々の人間が意思決定をする場合、決定とその理屈づけとの関係においても同じことがいえる。
特に生活に深い関係のある経済や租税の制度については、一層このようなことが言えるのであって、メディアで主張される経済「理論」や官庁主導の財政「政策論」は俗受けするとしても、あとで間違っていることがわかる事例が多い。
伊藤修著の「日本の経済―歴史・現状・論点」(中公新書2007年5月)は、読者に対し、メディア論壇の偏向から自立し、事実に即した見解をもって欲しい、と考えての著作だと述べている。
例えば、
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政策構想や評価は、エリート層のほとんどがそうである東京在住者の視点というバイアスがかかっている場合が多い。(3章−1、高度成長の終焉) |
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均衡財政主義という職業的使命感は、わかりやすい赤字原因を次々に標的にして、政策体系にバイアスをもたらす。(2章−2、経済運営の戦略) |
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公債は借金であるが、外国から借りているのならともかく、サラ金財政というように家計の借金と同視すべきではなく、借金が同時に国民の資産でもある。借金を一気に返済する必要はないし、要は返済不能にならなければよいのである。(10章−1、政府債務の累積) |
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公共事業の全部が悪いのではなく、本当に必要なものとそうでないものとのメリハリである。(10章−1、財政支出の内訳と公共投資) |
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国際比較でいうと日本はすでに「小さな政府」である。国民所得に対する国民負担率は最低の部類に属する。法人税負担も法人税率だけみると高いけれども(税率引下げ競争は国際的な協定によって防止すべき)、法人の社会保険料負担を加えるとヨーロッパ大陸よりはるかに軽い。(10章−2、法人負担も軽い) |
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高齢化の重荷で日本の社会保障制度が、破綻するというのは過剰な危機煽りであり、現役世代人口に対する従属人口(子供、高齢者、専業主婦)の比率を比較すると、将来予測においても決して高くない。また高齢化で若者が大変だから、社会保障水準を引下げるというのは、公的ルートだけに気をとられ、私的ルート(家族内での備えや扶養)への事後的な影響を忘れた初歩的な誤りである。(10章−3、世代間対立か) |
このようにメディアで主張されるような対立軸や比較軸は、多くが単純化されすぎて歪んでいると言う。さらに経済学の「原理」に係わる分野についても類似の例があるという。
例えば、
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国際間の貿易収支を国の勝ち負けでみる観念は根強いが、貿易の黒字・赤字は長い目で見れば、各国民はみずから生産した成果しか消費できないのだから、損得でも勝ち負けでもない。(6章−3、国の勝ち負け) |
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為替レートは上下によって比較生産費を調整するので、為替レートを離れた裸の競争力という概念は経済学にはない。例えば中国の人件費は日本の10分の1なので勝負にならず日本は空洞化してしまう、といったことはありえない。(6章−3、空洞化の恐れ) |
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「自由貿易」は原理としては不滅の真理であるが、これが成り立つのは、いくつかの重い留保条件がいる。例えばコメの水田は地方社会を維持する機能(外部効果)をもっていはず。そのほか留保条件の例としては、完全雇用の存否、産業調整のコストがいること、優位産業の育成の必要性、為替レートに偏りがないか等、前提条件が自由貿易論には必要である。(6章−3、自由貿易の原則と留保条件) |
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貿易黒字=(貯蓄−投資)+財政黒字である。しかし貿易黒字を小さくするため、規制緩和して投資をふやせ、財政を赤字にせよ、という原因・結果の根拠の関係を示すものではない。事後的に統計として成り立つ等式にすぎない。(4章−1、内需拡大) |
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